続・60歳になって思う「昭和のおもしろさ」2

昨日はたしか青函連絡船から上野駅までの「演歌」でした。

今日は、その青函連絡船の話。

ググってみたら(このいいかたでいいのかな?)

青函連絡船は1908年〜1988年までらしい。

えっ!翌年1989年1月7日が昭和最後の日なんだから、

まさに昭和を代表する船だね。


たしか青函連絡船に初めて乗ったのは、すでに東京に来てたころだったかな。

夜だった。

夜の海だった。

デッキに出るとね、波風が強くて、それは怖かった。

腰がひけた状態でおそるおそる船底の方を覗きこむとさ、引きこまれそうでね。


青函航路は113km。

長いね。

うちの祖先はどうも東北(福島、青森、山形)あたりから北海道に渡ったらしいだ。

(どのような船に乗ったかはわかならいが)

この海を渡り、さらに大雪山という山を越えて、よくも道東までいったな。

新天地を求めて、、、開拓者なのか??

船に揺られて、そんなこと思っていたね、

で、

船がさ、速度遅いんだよ。いや、遅く感じたんだ。

でも、今思うね。

あの速度が遅かったから、そんなこと思ったんだって。


そして海を船が渡る、島から島へ。

だからドラマが生まれるし、演歌もあう。


♪青函連絡船 揺れながら、 海においてきた 涙よ

(ないか、そんか歌詞!)


ピューんと、飛んでしまえば、そんなこと考えもしないわ。

よくも悪くも、速度というのは、凄いね。

速さを求めて進歩、進化してきたわけだから。

そして、今はなんでもスピードの時代ね。


だから、時々、アナログなものが欲しい。

まあ、そのアナログちっくな昭和のエッセンスを取り入れたい。


本当は昭和のおもしろさ「電話」のことを書こうと思っていたが、

青函連絡船で終わってしまった。


まあ、いいか。次で。


*青函連絡船の画像、リンクを貼っておきますので興味があれば。

産経新聞のyoutubeより

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57歳から二拠点生活スタート、60歳からの山さんぽ

55歳くらいの時これからどう生きようか?と考えた。 まずは環境を変えてみようと57歳の時東京と軽井沢の2拠点生活を開始。 2022年60歳になり今後の自分にとって大切なものは「自然と健康」であると、山さんぽを始める。 (東京を拠点とした「TOKYO 山さんぽstyle」プロジェクトの企画運営)