3)60歳になって思う「昭和のおもしろさ」3

基本、僕はブログ書こうとPCを開いてから

「何を書こうか」その時に考えて決める。

あらかじめ、テーマも何も決めない。


ただ、少ない僕のブログを読んでいる方から、

「60歳になって思う「昭和のおもしろさ」」を

シリーズ化して欲しいと嬉しいリクエストがあったもので。。

だから今回テーマというかタイトルは決まってるんだが、、、

さて、何を書こうか??


う〜ん。


何を馬鹿なこといっている、前回のブログで「電話」を書くつもりと

自分で言っていたんじゃないのか!

あっ!そうです、そうです。


「ちょっと前に書いたことも忘れ、忘れたことさえも忘れ」

(ここは綾小路キミマロさんぽっくね)


まあ、そういうわけで「電話」かきます。

あらかじめ言っておきますが、僕のブログの書く時間は基本30分以内と決めてますので

これはPCをシャットダウンするまでなので、途中で終わる場合は、すぐに

「つづく」と書きます。

その後、参加カテゴリーやら、画像貼る時間に5分見るので、案外短い。

こんなこと書いている間も「つづく」まで10分切った。

やばい、やばい。


さて、「電話」ね「電話」。

昭和の電話と言ったら、固定電話、公衆電話でしょ!

携帯とかはなかったと思う。

少年〜青年時代を昭和で過ごした僕にとっては「電話」といえば

もう「愛の告白(?)」しかないでしょう。

すでに東京の匂いを身につけてしまった僕は、ちょっとませて、、

糸電話しか知らなかったのに、

今や、文明の象徴である電話BOXだもんな。


(ここから回想シーンね)

それは寒い日の夜だったね。

たくさんの10円玉や1〜2枚の100円玉を握りしめ、、、

家から少し離れた電話ボックスに、(もちろん公衆電話ね)入り、

人差し指でダイヤルを回した。

寒くて、凍えてなのか、それとも緊張してたのか、、、、

あれ! 

違う番号回しちゃった。

やべ、受話器切る。ガチャン。


もう一度やりなおし。

ルー、ルー、ルー。

「もしもし」低い声が出た??

やばい男の声だ、、

(お父さんか?)

ガチャン


(つづく)



私の文の中の公衆電話は100円公衆電話機ね(左より2番目)

画像はNTTーWESTさんより

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57歳から二拠点生活スタート、60歳からの山さんぽ

55歳くらいの時これからどう生きようか?と考えた。 まずは環境を変えてみようと57歳の時東京と軽井沢の2拠点生活を開始。 2022年60歳になり今後の自分にとって大切なものは「自然と健康」であると、山さんぽを始める。 (東京を拠点とした「TOKYO 山さんぽstyle」プロジェクトの企画運営)