60歳になって思う「昭和のおもしろさ」1

1961年(昭和36年)の生まれの僕にとって、昭和は印象深い。

1989年1月7日が昭和最後の日。翌日1/8当時の小渕官房長官が新元号「平成」を発表。

僕が27歳の時だった。

アナログとデジタルであれば、当然昭和はアナログ時代である(当たり前か)。

特に地域とか場所とかによっては伝わるスピードが、距離に比例するんだ。

僕が生まれたのは北海道の留辺蘂(るべしべ。今は北見市留辺蘂になっている)。

温根湯森林鉄道(下記、リンク貼りました)というのがあったようだ、木材を運んできて

留辺蘂の木工場で製材。

他にも亜麻工場、水銀鉱山、農薬工場の操業音が賑やかだった。

当時、この道東でも有数の活気があった町だ。


東京とは1400キロ離れている。

山を越え

海をわたる。

今でこそ、女満別空港からー羽田という飛行ルートがあるが、、昔はない。

札幌まで出るには汽車です。

このルートね、留辺蘂ー(大雪山)ー札幌ー千歳空港ー羽田空港。


飛行機使わないとなると

こっちのルートね、

留辺蘂ー(大雪山)ー札幌ーここまでは同じ。


ただ、ここからは あんた 演歌の世界よ!

なにせこのルートよ!

函館ー青函連絡船ー青森ー上野駅。


石川さゆりの「津軽海峡冬景色」を歌って、吉幾三の「雪国」を口笛吹いて、

千昌夫の「北国の春」鼻歌、

そして「ああ、上野駅」(これは僕より上の世代ね)

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(*今日は遅いので、ここまで)



*下記の画像は、2018年に神田いった時に某ビルに貼ってあったポスター。

昭和ね。

57歳から二拠点生活スタート、60歳からの山さんぽ

55歳くらいの時これからどう生きようか?と考えた。 まずは環境を変えてみようと57歳の時東京と軽井沢の2拠点生活を開始。 2022年60歳になり今後の自分にとって大切なものは「自然と健康」であると、山さんぽを始める。 (東京を拠点とした「TOKYO 山さんぽstyle」プロジェクトの企画運営)