森田童子 聞きたくなった。

なんか急に聞きたくなった。

ファーストアルバム今も持っているけど、ラックにたくさんレコードを入れていたので

ドーナツ型のレコードがジャケに浮き出てしまっている。

それでも中身は大丈夫なのですが、レコードプレイヤーが調子悪く今は聞けない状態だ。


このブログでも何度か僕の音楽体験を綴っていますので、熱心の方はわかると思いますが、

まぁ、そんな方はいないと思うので、再度。


親戚の兄さんの部屋に遊びに行くとブルース(ハウンドドッグテイラー、憂歌団、エルモアジェイムス、、)ロック(CREAM、CCR、feces、dylan、the band、ロリーギャラガーなどのアルバムがたくさんあり、僕はその影響を受けたわけだが、この森田童子もそうです。

1975年冬、この森田童子のファーストアルバムが出たばっかりのころ、「いいぞ!いいぞ!この世界観、この声」と言っては何度も聞かされた。

特に実際の体験から生まれた「さよなら ぼくのともだち」は何度聞かされたことか。

そしてアルバムの中に入っていた森田童子の数枚の写真も覚えているな。

チェロかなんか持っていたり、、、(たぶん。違ってたらごめん)。

(僕が持っているアルバムにも入っているんだっか、??忘れた)

太宰、玉川上水、菖蒲湯、ロックハドソンなどの詩も出てきたりして、文学の香りってこんなものか?、大学生ってこんな感じか?(森田童子のファンというのが大学生だって思っていたから)そんなことを漠然と思ったりしていた。

何せまだ14歳の誕生日を迎える前ですから、、、当時の僕は。

(何もわからない年ですから。)


自由で、反体制的で、独特な雰囲気と文学的演劇的香りを纏った森田童子は

強烈に憶えているんだ。



でも、沁みるな。

やはり。

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57歳から二拠点生活スタート、60歳からの山さんぽ

55歳くらいの時これからどう生きようか?と考えた。 まずは環境を変えてみようと57歳の時東京と軽井沢の2拠点生活を開始。 2022年60歳になり今後の自分にとって大切なものは「自然と健康」であると、山さんぽを始める。 (東京を拠点とした「TOKYO 山さんぽstyle」プロジェクトの企画運営)