さらに「昭和の面白さ」6

え〜と、前回は「文通」をしだした話でしたね。

おそらく、15歳の頃かな。

3〜4人から、きました。

そのうち、長く続いたのは北海道にいた女の子だった。

同じ年でさ、とにかく趣味があった。

まず、クラプトン、オールマン、ディランでしょ。それにヴァン・モリソン、リトルフィート、

ブルース・コバーン(彼女が特に好きだったな)、ニール・ヤング、、。

彼女の家の近くに喫茶店(カフェではなく、喫茶店って言ってたのよね、昔は。)があり、

そのオーナーが音楽好きで、よくこのあたりの音楽を聴かせてもらったらしい。

その影響だそうだ。


当時、僕は将来、できれば音楽評論家にでもなりたいと思っていたので、

文通相手の彼女にもうそれは必死になってレコードレビューやら、

コンサートレビューなど書きましたね。

その頃は、「ニューミュージックマガジン」、「音楽専科」、「MUSIC LIFE」の3つ月刊誌購入してました。

音楽について勉強していましたね 笑。


 で、一度、彼女は東京に来たことがあって、確かビートルズのマジカルミステリツアーの映画見に行ったな(デートは誰でもそうだが、映画の内容全く憶えていない)。

また、その頃、行きはじめた渋谷の「ブラックホーク」という音楽喫茶にも連れて行った。


そうそう、実はこのブラックホークの音楽体験が、僕の音楽の深い基盤になったんですね。

*ブラックホークについてはまた改めて書きますが、今では「ブラックホーク伝説」という本が出るほど、ある意味画期的な店だった。英国トラッドフォーク&ロックというのも、僕は初めてここで聞きました。いや〜、ここでしか聞けなかった。いや〜存在すら知らなかったもな〜。


話戻すね。

しかしね、文通はしんどかったな。

何がって?

今みたく、PCやスマホみたくキー叩いて入力じゃなくて、全部、「便箋にぺん」よ。

鉛筆が嫌いな僕はいつもボールペンで書くんだけど、文字間違いや、なんかちがう!、となっては、

黒く塗りつぶす。例の国会における省庁の黒塗り文書までいかないけど、とにかく黒くなる。

あまりみっともないので、もう一度やりなおし。

修正が大変。

そんな繰り返し。

毎回7〜8枚程度書いていたな、考えて書いていたからな、

今じゃ、考えられないな。


お陰でその当時漢字はよく識っていたな、

今じゃ、考えられないな。


昔はキレイに文字を書いていたな、

今じゃ、なんか汚くてテキトーだな(下画像)


それでは今日はここまで。

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57歳から二拠点生活スタート、60歳からの山さんぽ

55歳くらいの時これからどう生きようか?と考えた。 まずは環境を変えてみようと57歳の時東京と軽井沢の2拠点生活を開始。 2022年60歳になり今後の自分にとって大切なものは「自然と健康」であると、山さんぽを始める。 (東京を拠点とした「TOKYO 山さんぽstyle」プロジェクトの企画運営)