1972~1975年洋楽:昭和の面白さ

1972年(昭和47年)4月、小学5年にちょうどなった時だ。

親戚の家に遊びに行くと、たくさんのLPレコードを聞かされた。

その時から、僕の洋楽体験はスタートした。


その親戚のお兄さんはストラトキャスターでよくブルースを弾いていた。

バリバリのブルースマン、ハウンドドッグ・テイラーとか、

クラプトンや、ロリーギャラガーとか。


レコードはね。何あったかな?

あっ、そうそう、T -レックスです。

メタルグルーです。

シングルが出て、ものすごくヒットして、、

そのシングルを、何回も繰り返し、かけていったけ。

グラムロック全盛時代突入のころかな??



中学1年(1974年4月)頃は、ディラン&バンドの「偉大なる復活」なんか聞かされたりしたし、フォークギターももらったな。

他にはね、FACESね!多分来日した頃だったじゃないかな?。その時のパンフを見せられて記憶があるな。他にピンクフロイド、E L Pの展覧会の絵とか、(ちょっと記憶が前後しているかも???)


あと、森田童子の「さようならぼくのともだち」の入っているアルバムはお気に入りだったようで、

まだ中学入ったばかりの僕に「お前、この世界観わかるか?」なんて、、、。

でも、わからないなりに好きだったな。

♪菖蒲湯沸かして ♪玉川上水沿いに歩くと 太宰、ロックハドソン、なんかそんな詩。


そんな影響もあって、音楽が好きになった。

そして、母親に「ステレオ」を買ってもらった。

中学2年になった時だ。


そこで初めレコードアルバムを買ったのが

オールマン・ブラザーズ・バンド「ウイン・ルーズ・オア・ドロウ」だった。

南部サザンロックの泥臭く、ブルージーな音が好きだった。

次がデレクアンドドミノス「レイラ」。クラプトンは大好きだった。

そして3枚目が、出たばっかりのボブ・ディランの「欲望」。

これはおふくろさんにねだってねだって買ってもらった。




*bob dylanアルバム[欲望」の中の「コーヒーもういっぱい」のリハーサル音源 

_youtubeより




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57歳から二拠点生活スタート、60歳からの山さんぽ

55歳くらいの時これからどう生きようか?と考えた。 まずは環境を変えてみようと57歳の時東京と軽井沢の2拠点生活を開始。 2022年60歳になり今後の自分にとって大切なものは「自然と健康」であると、山さんぽを始める。 (東京を拠点とした「TOKYO 山さんぽstyle」プロジェクトの企画運営)